師走の候となりました。

今年の冬は暖冬との予報が出ております。日本には大切な情緒豊かな季節感があります。その季節感が失われないようにと願いたいものです。
先月にお知らせ致しましたが、此のブログが最後となります。
9年間お付き合い頂きまして誠に有難うございました。思い起こすと沢山の思い出があります。
その中でやはり一番印象深いことは
2011.3.11の東日本大震災が一番です。私は、あの時の揺れの体験はしておりません。個人的な所用にて、伊豆の大島へ出かけ高速船から降りたのが午後2時33分ごろで予約のレンタカーの場所を探している時に、伊豆大島の消防車、パトカーがけたたましくサイレン、拡声器において大津波緊急警報を出しているところでした。一体何が起きたのか?起きているか?全く解らず、知り合いのペンションに着くまで何かあったのかは悟ることが出来ましたがペンションに着くなり,ペンションオーナーに説明を受け、まさかの状況の光景であの大津波が押し寄せている場面をテレビにて見た次第です。
当時大島では大津波警報であり、海岸には絶対に近づかないこと、船舶は直ちに避難ということで大騒ぎでありました。勿論東京行きの船舶は欠航となり、帰れない客等であふれ、私のペンションにも予約なしの素泊まり客で大混雑になりました。
このような事態の時、大島の旅館組合は無条件にて各宿屋が協力をすることになっているとのことなので、見事な連携は傍からみて感心し感動をしてしまいました。
このような事は、台風等による自然現象や、様々なトラブル発生において良くあるとのことと説明を受けました。当然電話は繋がらず携帯も繋がらず全く各情報が取れない状況でありますので、不安と気持ちの動揺で理性を失う事になりそうな心境でありました。ようやく夕方に自宅、会社との連絡が取れ、自分の身の回りにおいては安全の情報が確認され気持ちが落ち着いてくるがわかりました。後から聞いた話ですが、むしろ私が大島の海岸にて写真撮影をしているらしいので、あの大津波にあってしまっているのではないかと云うことを聞きました。
そうか?そのように離れているということ、情報が取れないということは様々な憶測状況を生むものと改めて痛感いたしました。大島は津波においては観測されませんでした。
しかし問題はその後、翌日の帰りにおいて問題が発生したのであります。
が、幸運と云うものでしょうか!!
通常大島行き帰りは高速船の往復が一般的であります。私も前年には船で帰りましたが今回の帰りは飛行機の予約をして参りました。船は大津波解除が発令されず、欠航で大島はおおくの観光客が2,3日帰れなかったとのことです。飛行機は欠航ではないという情報を得ていましたので翌日に帰ることが出来ました。ところが大島空港には早朝から長蛇の列でキャンセル待ちの客でかなりの混雑でした。予約の有り難さでスムーズに搭乗ができました。そして上空より千葉県市原市付近の工業地帯の光景を見た時はこの世の世界ではなく、果たしてこれからどうなるのであろうという絶望感と大変な復興作業であろうと感じてしまいました。しかし何としなければならないという決心と負けてはならないという日本人魂が心の底からにじみ出てきました。
羽田につき、これまた運よく京浜急行が動きだし、品川まで行き、それから山手線も運転開始、神田で下車、地下鉄銀座線も運転、ようやく浅草に到着となりました。自宅が東武日光線栃木県鹿沼市ですので、通常なら特急のスペーシアにて帰宅となるところですが、運航停止となっているため全て各駅停車の乗り継ぎにての帰宅となりました。
浅草から北千住、北千住から南栗橋、南栗橋から栃木、栃木から新鹿沼に午後4時頃到着となり、乗り継ぎ、乗り継ぎにての帰宅となりました。大島から約7時間弱でしたが「ほっと!」した気持ちになり「ようやく帰って来られた!!」という実感は「天、神」に感謝の気持しかありませんでした。その後各方面から聞いたところそれは奇跡に近いと言われ、何とも「運!!」といは言え、目に見えない「何か?幸運」に有り難いと思ってなりません。

こうして拙いブログを綴りながら振り返ると、9年間には世界的な問題、大きな災害、オリンピック、国内の政治、文化、スポーツ等々と多くの出来事があり、多くの人生勉強にもなり人間学、人間力、自己丹誠になりました。
またこのようにブログが綴れた事に改めて感謝しているところであります。
これからも当社コクカコーポレーションを宜しく御贔屓頂きますよう心からお願い致します。

有難うございました。

 

●平成30年11月度の納入実績を掲載いたしました。

    株式会社コクカコーポレーション 広報部